month10 阪神・淡路大震災から始まった我が国の災害医療
兵庫県南部を震源として1995年1月17日午前5時46分に発生した地震は、阪神・淡路大震災を引き起こしました。我が国で初めての大都市の直下を震源とする大地震であり、当時戦後最多となる6500人近くの方が亡くなり、負傷者は43000人以上に上りました。2025年1月には、この大震災から30年を迎えました。
我が国の災害対策は、実際に発生した大災害を教訓として進展してきました。明治以降、現在までに死者が5000人を超える自然災害は6件ありましたが、そのうち濃尾地震と伊勢湾台風の2件が東海地区で甚大な被害をもたらしています(表1)。
1891年の濃尾地震は、岐阜県本巣郡根尾谷(現本巣市根尾)を震源とするマグニチュード8.0の世界でも最大級の内陸直下型地震でした。根尾谷の水鳥(本巣市根尾)の断層では、最大で垂直に6メートルのずれが生じ、現在でもその様子を確認することができます(図1)。この地震では、地震研究、震災対策が大きく発展する契機にもなり、文部省所轄の地震研究機関として震災予防調査会が1892年に設立され、震災被害を最小限に留めるべく、地震学、地球物理学、建築学等、幅広い分野での研究が始まりました。また、各地の新聞社は競って震災情報を伝え、被害の大きさを知った国民は、医療ボランティアとして駆けつけたり、援助物資を寄せるなど、災害への連帯の輪が大きく広がった地震でもありました。
1959年の伊勢湾台風では、全国で5000人以上の方が亡くなり、明治以降では最悪の台風災害となりました。名古屋港では、3 mを超える高潮が観測され、浸水被害は20kmの内陸にまで及びました。この伊勢湾台風を教訓として防災の概念と国の責務を明確にした「災害対策基本法」が被災から2年後の1961年10月に制定され、現在に至っています。
伊勢湾台風後は、30年以上にわたり災害の少ない平穏な期間が続きましたが、1995年に発生した阪神淡路大震災では甚大な被害が発生し、災害医療について多くの課題が浮き彫りとなりました。その後、この震災を教訓として、災害拠点病院が整備されたり、災害派遣医療チームDMATが発足するなど、阪神・淡路大震災が日本における災害医療体制の原点となったとも言われています。
その後、新潟中越地震、東日本大震災、熊本地震や能登半島地震など、我が国では自然災害が発生するたびに多くの医療従事者が被災地で活動して多くの被災者の救助にあたり、また災害関連死を防ぐための多くのエビデンスを蓄積してきました。これらの我が国における災害対策のノウハウは、日本政府が派遣する国際緊急援助隊などでも応用され、海外で発生する大規模災害においても被災者の救助に生かされています。
【文責:林秀樹 岐阜薬科大学 地域医療実践薬学研究室 教授】
我が国の災害対策は、実際に発生した大災害を教訓として進展してきました。明治以降、現在までに死者が5000人を超える自然災害は6件ありましたが、そのうち濃尾地震と伊勢湾台風の2件が東海地区で甚大な被害をもたらしています(表1)。
1891年の濃尾地震は、岐阜県本巣郡根尾谷(現本巣市根尾)を震源とするマグニチュード8.0の世界でも最大級の内陸直下型地震でした。根尾谷の水鳥(本巣市根尾)の断層では、最大で垂直に6メートルのずれが生じ、現在でもその様子を確認することができます(図1)。この地震では、地震研究、震災対策が大きく発展する契機にもなり、文部省所轄の地震研究機関として震災予防調査会が1892年に設立され、震災被害を最小限に留めるべく、地震学、地球物理学、建築学等、幅広い分野での研究が始まりました。また、各地の新聞社は競って震災情報を伝え、被害の大きさを知った国民は、医療ボランティアとして駆けつけたり、援助物資を寄せるなど、災害への連帯の輪が大きく広がった地震でもありました。
1959年の伊勢湾台風では、全国で5000人以上の方が亡くなり、明治以降では最悪の台風災害となりました。名古屋港では、3 mを超える高潮が観測され、浸水被害は20kmの内陸にまで及びました。この伊勢湾台風を教訓として防災の概念と国の責務を明確にした「災害対策基本法」が被災から2年後の1961年10月に制定され、現在に至っています。
伊勢湾台風後は、30年以上にわたり災害の少ない平穏な期間が続きましたが、1995年に発生した阪神淡路大震災では甚大な被害が発生し、災害医療について多くの課題が浮き彫りとなりました。その後、この震災を教訓として、災害拠点病院が整備されたり、災害派遣医療チームDMATが発足するなど、阪神・淡路大震災が日本における災害医療体制の原点となったとも言われています。
その後、新潟中越地震、東日本大震災、熊本地震や能登半島地震など、我が国では自然災害が発生するたびに多くの医療従事者が被災地で活動して多くの被災者の救助にあたり、また災害関連死を防ぐための多くのエビデンスを蓄積してきました。これらの我が国における災害対策のノウハウは、日本政府が派遣する国際緊急援助隊などでも応用され、海外で発生する大規模災害においても被災者の救助に生かされています。
【文責:林秀樹 岐阜薬科大学 地域医療実践薬学研究室 教授】
図1-1. 濃尾地震で生じた根尾谷断層(当時)
図1-2. 濃尾地震で生じた根尾谷断層(現在)
表1. 明治以降の死者・行方不明者数が5000人を超えた我が国の自然災害 | |||
1 | 関東大震災 | 1923年 | 105,385名 |
2 | 東日本大震災 | 2011年 | 24,607名 |
3 | 明治三陸地震大津波 | 1896年 | 21,959名 |
4 | 濃尾地震 | 1891年 | 7,273名 |
5 | 阪神・淡路大震災 | 1995年 | 6,434名 |
6 | 伊勢湾台風 | 1959年 | 5,098名 |