month5 高大連携を通した中高生からの学び
現行の学習指導要領において、SDGs(Sustainable Development Goals: 持続可能な開発目標)に関連する学びが推奨され始めてから、中高生と関わる機会が増えている。総合的な学習の時間や探究学習の一貫で学んできたことを中高生が発表し、それに私がコメントをするということがその一例である。こうした高大連携の取り組みを通して、中高生らがどういうことを感じたり、考えたりしているのか、また何ができて、できないのかに気づかされる。そのうえで、これからの大学教育に求められていることや、していかなければいけないことを改めて考えさせられるのである。
2030年までの折り返し地点を過ぎた現時点では、SDGsのそれぞれの目標に関わる諸問題への理解はあるものの、そもそもなぜSDGsが必要とされたのかという背景やその特徴についてはあまり知られていない。中高生らにとって、探究の時間が問題解決へのアプローチを考えるなかで、各教科では学ばないような分野横断的な内容に触れたり、グローバル社会の実態に出会ったりする機会となっていることはたしかである。一方で、「SDGs疲れ」と言われるように、小学校からSDGsに関わる諸問題に取り組んでいることで、「耳タコ」で何度も同じようなことを「させられ」ている印象をもったり、自分とは関係のない話、もしくは自分ひとりではどうしようもできない、どこか遠い国の誰かの話と捉えられたりすることも少なくない。対応策を考えることはもちろん重要であるが、机上の話としないためにも、自らとの関連を捉え直したり、策を考えることからそれを実践してみるところまでもう一歩踏み込んだりしていくことが求められていよう。
大学においても、SDGsに関連する授業が増えているが、なぜそうした学びが必要なのかを吟味しなければ、「SDGs疲れ」の若者は遠のいていくのではないだろうか。これまでなおざりになっているSDGsそのもの(合意された背景やその特徴)を理解すること、そのうえで世の中にある持続不可能性に目を向けていくことで、これまでの教育課程で取り組んできた諸課題も改めて特徴づけることができるだろう。SDGsは私たちが生きている社会にある諸問題をみるレンズであり、それをつけてみることで見える世界をどうしていくことが望ましいのかを考え、実装していくことを求めている。そのレンズを使うためにも、まずはそれ自体を理解することも忘れないようにしたい。
【文責:曽我幸代 名古屋市立大学大学院人間文化研究科准教授】
2030年までの折り返し地点を過ぎた現時点では、SDGsのそれぞれの目標に関わる諸問題への理解はあるものの、そもそもなぜSDGsが必要とされたのかという背景やその特徴についてはあまり知られていない。中高生らにとって、探究の時間が問題解決へのアプローチを考えるなかで、各教科では学ばないような分野横断的な内容に触れたり、グローバル社会の実態に出会ったりする機会となっていることはたしかである。一方で、「SDGs疲れ」と言われるように、小学校からSDGsに関わる諸問題に取り組んでいることで、「耳タコ」で何度も同じようなことを「させられ」ている印象をもったり、自分とは関係のない話、もしくは自分ひとりではどうしようもできない、どこか遠い国の誰かの話と捉えられたりすることも少なくない。対応策を考えることはもちろん重要であるが、机上の話としないためにも、自らとの関連を捉え直したり、策を考えることからそれを実践してみるところまでもう一歩踏み込んだりしていくことが求められていよう。
大学においても、SDGsに関連する授業が増えているが、なぜそうした学びが必要なのかを吟味しなければ、「SDGs疲れ」の若者は遠のいていくのではないだろうか。これまでなおざりになっているSDGsそのもの(合意された背景やその特徴)を理解すること、そのうえで世の中にある持続不可能性に目を向けていくことで、これまでの教育課程で取り組んできた諸課題も改めて特徴づけることができるだろう。SDGsは私たちが生きている社会にある諸問題をみるレンズであり、それをつけてみることで見える世界をどうしていくことが望ましいのかを考え、実装していくことを求めている。そのレンズを使うためにも、まずはそれ自体を理解することも忘れないようにしたい。
【文責:曽我幸代 名古屋市立大学大学院人間文化研究科准教授】