グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ


ホーム >  コラム >  week82 身近なコミュニケーションから「異文化理解」を考えてみよう。

week82 身近なコミュニケーションから「異文化理解」を考えてみよう。


 韓国ドラマやバラエティ番組を見ていると、設定、ストーリー、ちょっとしたやりとりにおいて、日本とよく似ているようで違うところや、違うようで実は似ていることをよく発見する。そのような発見を楽しみにドラマを見ている人もいるのではないだろうか。
 筆者は日本語の談話論・言語行動の多様性にフォーカスした研究をしている。平たく言えば、「話し方の多様性」を捉える。どのような内容をどのように伝えているのかという伝え方に着目する。そんな視点で見ても、韓国ドラマは面白い。
 たとえば、家族間の呼称やよびかけの言語行動の違いがある。韓国ドラマで母親が自分の息子と話すシーンでは、「息子、今何してる?(우리아들 뭐하고있어?)」「(娘に電話をかけたとき、娘に)うちの娘、久しぶりだね(우리딸 오랜만이야)」といったように、子の名前が発話に出現せず、「息子」「娘」という親族名称が呼びかけ詞として用いられるときも多い。シオモニ(夫側の母)やチンジョノモニ(妻側の母)などといったように韓国語の親族名称の語彙は日本語より多様であることはよく知られているが、そうした家族間の役割意識の濃密さは、語彙の多様さからだけでなく、「会話のしかた」を通しても垣間見れる。
 また、挨拶のしかたも違う。「こんにちは」「ただいま」「おやすみなさい」「いただきます」など固定的な挨拶表現において韓国語と日本語にはいろいろ異なる部分がある。日本語を母語とする人にとって、たとえば道端で会った知り合いに「밥 먹었어?」(ご飯食べた?)と言葉をかけるのは、挨拶というよりは「まだご飯を食べていないなら一緒にご飯を食べない?」といった「勧誘の言語行動」に読み取れるかもしれない。しかし、韓国語において「ご飯食べた?」はただの挨拶である。したがって、それを返すときは「うん」や「いや、まだ」など適当な一言で十分だ。
 また、「タメ口ことばか敬語体か」という問題は韓国ドラマのなかで登場者の関係性をマークする重要な要素として機能する。もっとも、日本語でも「です・ます」体を使っていたのに間柄が親密になるのと同時にタメ口になっていた…などというように、話し言葉の文体差とドラマ上の人間関係の変化を関連付けて描くときもあることはあるし、実際の言語生活でも同様のことはあるだろう。ただ、韓国語のドラマなどの芸術作品においては、「タメ口ことばか敬語体か」が人間関係を描くマーカーとして大活躍しているのである。
 最近、韓国で大ヒットした『賢い医師生活』というドラマのなかで、憧れている女性の上司への恋心が叶わぬものと知った男性年下社員がその女性上司に対して「一度だけ、タメ口で話していいですか」と言うシーンがある。日本ドラマでそういうシーンがあっても不自然ではないかもしれないが、年齢による言葉遣いのルールが日本より厳しい韓国だからこそのセリフであり、同じような文体の運用体系を有する日本語母語話者には何となくその感覚が理解できるというものかもしれない。
 このように、日本語社会と韓国語社会とでは、お隣の国といえどコミュニケーションにおいてもいろいろな違いがある。「多文化共生」の根底にある「異文化理解」は、こうした見過ごしがちなちょっとした違いに目を向けて楽しみつつ、相手のコミュニケーション文化・スタイルを尊重することから始まるのかもしれない。また、これは言語の違いにとどまらず、東京の人の言い方、大阪の人の言い方といった地域のことば、若者のことば、すぐ隣にいる友人たちとのコミュニケーションにおいても同じことが言えるだろう。同じ日本語にもことばのバリエーションがある。このような「ことばの一側面」から思考・文化・スタイルの違いを考え、互いを尊重することは、TEEPのめざす教育の場においても大切な視点であろう。

【文責:名古屋市立大学 大学院人間文化研究科 准教授 椎名渉子】
Page Top