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week81 教えつつ学ぶこと


 9月下旬に10日間のイタリア研修を引率した。研修先は本学の協定校であるヴェネツィア・カ・フォスカリ大学である。連日6名の学生と共に、クルクルと気まぐれに向きを変えるスマホの経路表示に翻弄されながら、朝から晩まで迷路のような街並みを歩き、大学の日本語学科の授業に通った。授業にはゲストとして招かれたが、行く先々で大歓迎をうけ、イタリアの日本語人気の強さを実感した。日本語学科の学生の多くはアニメや漫画をきっかけに日本語に興味をもった20-30代の若者である。1日のうち、教室から教室へといくつもハシゴし、合間にイタリア・グルメや芸術を楽しむために、多い時には1日に2万歩近く歩くこともあった。 
 引率者としての私の役割は、本学学生を見守り、困った時に手を差し伸べることであったが、そのほかにもう一つ、災害看護学の研究者として、ひそかに調べていたことがあった。それは、有名なイタリアの災害対策についてであった。イタリアは日本と同じく地震大国で、歴史的にも多くの被害を経験しているが、その災害対策は日本と大きく異なることが知られている。イタリアでは災害時、いち早くシャワー付きトイレや、冷暖房付きの世帯用大型テントが設置され、レストラン並みの温かい食事にはワインまで付く、というのだ。100年前の関東大震災以来かわらず、必要最低限の装備の中で不自由な生活を余儀なくされる、日本の災害対策とは大きな違いである。
 この違いは何から生まれるのか。私はこれまでは、忍耐を美徳とする日本人と、人生を楽しむことを重視し、苦痛は一刻でも早くなくしたいイタリア人との文化の違いによるものと考えていた。しかし今回、ヴェネツィアの街を連日歩き倒して観察した結果、少し違う考え方もできる気がしてきた。
 今回気が付いた日本との決定的な違いは、その歴史的建造物の数の多さである。日本では歴史的建造物は散在していることが多く、そこに耐震補強の鉄骨がむき出しで取り付けられていることも多い。しかし、イタリアでは外観を損ねるような耐震補強が難しく、ましてや、ヴェネツィアのように不安定な海上に建造された建物ばかりでは、防災のための補強はほぼ不可能なのではないか。では、補強ができなければどうするか。イタリアの行政は、代わりに災害が起こった後の被災者救護に予算を使おうと考えたのではないか。
 学生とその日2個目のジェラートを食べながら、そんなことを考えていた。

【文責:高知県立大学看護学部 教授 木下真里】
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