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ホーム >  コラム >  week70 できることは何もない…のか ―省察的実践とは―

week70 できることは何もない…のか ―省察的実践とは―


 先日、ある学生から「〇〇学部の省察的実践についてどう思いますか?」と質問を受けた。ドナルド・A・ショーンの省察的実践者(Reflective Practitioner)という概念は、技術的熟達者(Technical Expert)に対する専門家モデルである。
 たとえば、『死にゆくあなたへ』(飛鳥新社)で、著者であるアランチス医師は学生時代に接したある終末期の患者についてこう述べている。

 ――治る見込みのない患者が病院で死ぬとはどういうことか、この時初めて理解しました。この世の苦しみのすべてが、たったひとりの患者にのしかかり、恐ろしい言葉が繰り返されるだけなのです。
 「できることは何もない…できることは何もない」(同書p. 43)


 こうした経験が重なり、彼女は4年生の途中で大学を辞めてしまう。自身も心身を病み、いっそ死んでしまいたいと初めて思ったという。
 しかし、緩和ケア医として働く彼女には、今はまったく異なる信念がある。

 ――患者の死が近づくと、たいていの医師は、「できることは、何もありません」と告げるでしょう。でも、それは真実ではないと、私は気づきました。「病気」に対してできることがなくとも、病気を患う「人」に対してなら、できることがたくさんあるのです。…死にゆく人に寄り添いたいのなら、その人の感情を価値あるものへ変えることです。…死にゆく人が自分の価値に気づければ――つまり、自分は大切な存在で、自分の人生にも、寄り添ってくれる人の人生にも変化をもたらせると感じられれば――その瞬間を誇りに思えるでしょう。(同書p. 43, 174)

 一方、自分を正当化するために、ボランティアとして、緩和ケアに取り組んで、あるいは死生学を学んで、助けになりたいと言う人々に、そんなことをしても死にゆく人は救われないと彼女は明言する。死にゆく人は、そんなあなたの中の曇りなき真実を見ているからという。
 死にゆく人は、どうすれば自分の価値に気づくのか。その答えは、技術的合理性からは導かれない。人生のすべての側面について、自らの行動を振り返り、評価し、その全体の意味を責任ある個人として理解していることが前提になるからだ。自分が何者でなぜそこにいるのかがわからなければ、何ができるのかもわからない。
 ところで、こうした高次の精神的複雑さは、大人になるまで通常は獲得されない。質問をしてきた学生にはアレコレ説明をしたが、うまく伝えられた自信がいまだに持てない。

【文責:名古屋市立大学 高等教育院 教授 山田 勉】
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