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week66 ソーシャルデザインと「サードプレイス」


 自宅の近くに大きな県営緑地があります。週に数回、犬の早朝散歩で訪れています。緑地の一角にベンチが並べられた休憩スペースがあり、朝6時前から地域の高齢者たちが集まってきます。毎回、ほぼ同じメンバーで緑地近隣のさまざまな場所から来ているようです。皆それぞれ缶コーヒーを飲んだり、お菓子を食べたりしながら楽しそうに話し合っています。そしてみんなでラジオ体操をして、三々五々帰宅していきます。
 私の犬を皆さんがかわいがってくれるので、私も集まっている高齢者と話をするようになりました。自然発生的にできあがった集まりのようで、今ではみんなの健康確認を兼ねた楽しい時間になっているそうです。孫のこと、近隣の病院事情、スーパーの安売り情報など話しながらいつも笑い声があふれています。
 高齢者のみなさんの様子を拝見しながら、私は社会学者レイ・オルデンバーグの「サードプレイス」という概念を思い出した。「サードプレイス」は職場でも家庭でもない第三の居場所で、都市内での平等な関係性を構築し、自らの価値を再確認する場所です。オルデンバーグは「サードプレイス」を「地域社会の中にある楽しい集いの場。関係のない人どうしが関わり合うもう一つのわが家」と表現しています。ヨーロッパのビアホールやパブが典型だと言われています。大切なことは「サードプレイス」の人間関係は家庭内の関係とも職場の関係とも異なる独自のものだということです。家と職場の往復で毎日が過ぎていく生活。時に居酒屋に行くことがあっても職場の同僚と一緒。私たちの多くは「サードプレイス」をもっていません。そのことが都市コミュニティを貧弱なものにしている気がします。
 早朝、私が出会う高齢者たちのほとんどはリタイアしています。その意味ではこの集いが厳密な意味での「サードプレイス」だとはいえません。それでも、そこには社会を構想する(ソーシャルデザインする)大きなヒントがあるように思えます。それは計画的に外側から社会をデザインすることの限界への自覚と、誰もがもつ他者と交わりたいという要求から自然発生的にコミュニティを考える視角です。
 ほとんどの人は「セカンドプレイス」で実務を身につけます。身につけた実務をソーシャルデザインに応用していくためには、都市の内実、特に都市コミュニティの中にある内発的な交わりへの要求をきちんと見極めることだと思います。その視角がなければソーシャルデザインは「悪しき計画主義」「醜悪な設計主義」に陥ってしまいます。


【文責:伊藤恭彦(TEEP運営委員会 委員長/名古屋市立大学大学院人間文化研究科 教授)】
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