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week24 アリストテレスと実務家教員


 哲学者アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で人間の魂のあり方(魂の働きによる知的活動)として、「技術」(テクネー)、「学的理解」(エピステーメー)、「思慮(賢慮)」(プロネーシス)を指摘したことはよく知られています。この中で日本の大学が伝統的に重視してきたのは「学的理解」、すなわち学問です。この「学的理解」によって獲得される知は「他の仕方ではありえない」事柄だとアリストテレスはいっています。分かりにくい表現ですが「普遍的真理」の認識だと理解すればよいでしょう。
 これに対して「他の仕方でもありうるもの」の中で物の制作に関わっているのが「技術」で、人間の行為に関わっているのが「思慮(賢慮)」です。多様性と可能性に満ちた世界を認識するのではなく、そこに関わるための知が「技術」と「思慮(賢慮)」なのです。そして、特に「思慮(賢慮)」は普遍的なものではなく個別のあり方を見極め、人間にとって善い行為を理解していく実践知といえます。「技術」教育は日本の大学でも行われてきましたが、「思慮(賢慮)」は日本の大学ではあまり重視されてきませんでした。

 現代は地球の存亡に関わる激動の時代です。科学的認識によって自然や人間の理解を深めなくてはなりません。それと同時に技術によって世界を改造し、さらには人間の行為の善悪(正邪)を判断し、世界のあり方や人間の価値観を変えていくことも求められています。アリストテレスは「思慮(賢慮)」は「人間にとって善いものと悪いものに関する分別の働きを伴う真なる行為の性能」と述べています。地球の持続可能性を念頭におくならば、「思慮(賢慮)」こそ現在、最も重視されるべき知のあり方なのかもしれません。
 若者は幾何学や数学の天才にはなれるが、思慮ある人にはなれないとアリストテレスはいいます。思慮は個別にかかわるが、個別は経験から学ぶものであり、若者には経験がないというのが、その理由です。個別のあり方を認識し、それを善い方向へと導く実践知は人生経験や職業経験の中でしか培われないのです。実務家教員に期待されることは職業生活で獲得した技術の伝授だけでなく、若い学生たちに「思慮(賢慮)」に基づく行為の作法を教えることでもあります。そのためには、まず実務家教員(のみならず大学教員全員)が自ら「思慮(賢慮)」を働かせているか反省することから始める必要があります。

【文責:伊藤恭彦(TEEP運営委員会 委員長/名古屋市立大学大学院人間文化研究科 教授)】

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