TEEP NEWS LETTER Vol.38
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JSTサテライト高知は高知工科大学の中にあった員や大学の先生などにお会いして、刺激を受けました。 地方の大小さまざまな研究シーズを見つけて花開かせようという事業などを通して実感したのは、地方では産学官の距離が近いこと。研究者や行政や企業の人たちから、生の情報がどんどん入ってきます。熱い思いもシャワーのように降ってきます。それが刺激になり、地方の科学技術振興というのも面白いと思いました。そうした中で、たまたま高知県の産学官連携プロジェクトも担当することになりました。   そこで高知に行かれることになったのですね。 高知のプロジェクトに携わったこともあり、上司からJSTの地域拠点「JSTサテライト高知」に行ってくれと言われました。当時は子どもが小学生だったので、最初は私が単身赴任するつもりでした。ところが、転居先の物件探しを兼ねて高知を家族旅行したら「思ったよりいいね」となって、家族で移ることにしました。それが2008年10月のことです。 そこで本格的に高知の産学官連携に取り組むことになるのですが、地域に入ってみると意外にそれぞれの密な交流がないのに気付きました。普段から産学官の出会う機会や「場」が少なかったのです。 2009年に国の「地域産学官共同研究拠点整備事業」というのがあって各都道府県が申請したのですが、高知県は不採択の結果となりました。そのときに当時の関係者はたいそうショックを受けたそうです。原因を探ると、申請のときに産学官で議論がきちんとできず、むしろ揉めて中途半端な構想になっていたのでは   高知工科大学ではどんな仕事を任されたのですか。 産学官連携のコーディネーター役で、正式には「連携専門監」という役職です。大学と企業、大学と地域の橋渡しをする存在として配属されました。多くの大学のコーディネーターは専任教員ですが、私の場合は専門職員で、厳密に言うと事務職員です。人事評価や勤務体系は事務局の中で扱われます。 研究職ではないので、研究業績にはなりません。したがって、論文投稿や学会発表をしても人事評価には反映されませんが、大学職員として高知工科大学の産学官連携の事例を紹介したり、発表したりするのは大学の情報発信として評価されます。   研究職と事務職で、スキルセットやマインドセないかと思います。やはり普段から産学官で議論する場がなきゃダメだと多くの人が気付き、そこからJSTも関わって連携の場づくりが進みました。   そのJSTから大学に転職された経緯は。 JSTのサテライト事務所は高知工科大学内にあったのですが、私が高知に赴任した1年半後に、文部科学省OBの方が大学の地域連携機構長として赴任されました。その方には博士号の取得を勧められるなど、非常に刺激を受けたということがあります。 また、当時は民主党政権で2009年に「事業仕分け」があり、地域イノベーションや地域産学官連携・科学技術振興は国の事業として全否定され、2012年にサテライト事務所も閉鎖されることになってしまいました。ちょうど私は高知での仕事が面白くなっていた頃でしたので、「このまま東京に帰るのは勿体ないな」と思っていたところ、そのOBから「高知に残らないか」と声を掛けてもらいました。そこで1年間は出向という形で大学職員になり、2013年に正式に転職したという経緯です。大学では事務職の立場でコーディネーターに

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