TEEP NEWS LETTER Vol.37
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福島 譲二 熊本県知事 秘書時代(1996-97年)です。教える分野のことに関して本当に詳しいのはもちろん、学生の質問には笑顔で答えなさいとか、校外の授業なら人が何人来そうだとか、いろんな意味で大学の先生は「教えるプロ」なのだと実感しました。 その後、日本に帰国してまた県庁の職員に戻りましたが、組織の中でポジションが上がっていくにつれて「自分の言葉が部下に伝わらない」という問題意識を持ち始めました。経験を積むと自分の中に「実践知」を蓄積しますが、それをつい簡単な言葉で凝縮して言ってしまうので、部下にはその意味が伝わりません。部下に伝わる言葉を自分は持っていないと感じました。 知識の「共通言語」学ぶため45歳で大学院へ その頃、ちょうど熊本大学に新しく大学院ができるという話がありました。イギリスの著名な進化生物学者のリチャード・ドーキンスは、言葉を「第2の遺伝子」と呼びましたが、私にとっての学問は、時代を超えて知識を伝える「共通言語」。自分が実務で苦労して学んだ知識を若い人たちに正確に伝えることができれば、後から来る人たちは私のような苦労をせず、よりステップアップできるだろうと思って、私は45歳になって大学院に進学することにしました。 大学院には5年間通い、公共政策学で博士号を取りました。当時、博士論文を基に本にするのが義務といわれ、書籍として発行したら、それが学会賞を受賞しました(注:『チッソ支援の政策学−政府金融支援措置の軌跡−』成文堂、2007年;2008年 日本環境共生学会 [環境共生学術賞] 著述賞;2009年 日本地域学会 著作賞)。同僚から「博士号と単著の学術書、学会賞があれば大学の先生になれる」といわれたこともあって、いくつかの大学の教員募集に応募したら、室蘭工業大学が採用してくれました。私にとっては、たまたま宝くじに当たった感覚でした。   そんな先生は、ご自身を実務家教員だと思われますか。 教員で実務経験があるという意味では、そうなのでしょう。自治体の担当時代は、自分で社会課題を解決するという手応えや面白さがありました。組織の中には出世志向や権力志向の人も多いですが、私の場合は人に指図するよりは、自分で取り組むことを好むタイプでした。そうした問題解決は、今も教員として無意識にやっているところがあります。あるテーマで論文を書くことと、役所で工場誘致をすることは、基本的に一緒です。日常生活自体が問題解決の連続で、研究と実務の区別はないと思っています。 ただし、そうはいっても研究者と実務家の世界は、アメリカと日本くらいに違う面はあります。アメリカに行って、日本のルールにこだわっても意味がありません。徹底的にアメリカ流を学び、アメリカ人と同等に仕事ができるようになってから、日本人の得意なところで戦うべきです。研究の世界も一緒で、研究者になるなら徹底してアカデミズムの価値観と知識を学び、研究者として一人前に認められなければなりません。その上で、実務家出身の教員が実力を発揮でき、その成果を社会に還元できるでしょう。   先生が理事を務められた地域活性学会では、「実務研究論文」というカテゴリーが新たに作られました。その背景を教えてください。 正直なところ、実務家にとって論文の「作法」はあまり意味を感じられません。先行研究がどうこうというより、「こうやって社会問題を解決する」と示すことに意義を見出します。しかし、実際にそうやっていると、実務家の論文はことごとく学会誌で掲載不可になってしまいます。そこで、学術的な価値や評価とは別に、社会課題解決や実務に役立つ情報を学会として拾って社会に還元していこうと、実務研究論文枠が新たに設けられました。実践知を言葉にしながら研究者に

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