TEEP NEWS LETTER Vol.35
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番組の企画提案をしたテレビ局でのゼミ活動まずは学生たちとのコミュニケーションからはとても刺激を受けると感じました。自分とは離れた世代と接することで新しい発見があります。また、これまではチームや組織で活動することが多かったので、個人の名前で活動する職業であることにもやりがいを感じます。   「孤独」は感じませんか。 それはとても感じます。自分で自由にできる分、その責任の重さを痛感しています。何でも自分でやらなければいけないということもそうです。知人の実務家教員から「孤独との戦い」だと聞いていましたが、その意味がやっと分かりました。それから「最先端の情報が入ってこない恐怖」というのもあります。実務をやっていると業界の最新動向や動きが自動的に入ってきましたが、実務家教員になったら自分が積極的に情報を取りに行き、人に会うなどを意識して行わないといけないのだと分かりました。最先端の実務を常にアップデートすることも研究の1つの形であると考え、実務も可能な範囲で継続していくつもりでいます。 特にメディアとの接触やSNS、デジタル技術などの世界はどんどん変わります。それによって教える内容も影響を受けますし、知っていないと間違ったことを教えてしまうことにもなりかねません。テキストも今年使ったものを来年また使うのは難しいだろうと想像しています。   逆に実務から大学に身を置いても変わらないものは。 広告の世界だと「表現」を開発する上でのアプローチでしょうか。広告の文化的側面である「表現」を生み出すためのアプローチの手法はそんなに変わらないと考えています。そうした表現をどう広告で捉えていくかは個人のノウハウが大きいのですが、アプローチの仕方は変わりません。 広告は実践そのものであり、実践がない中では説明の付かないことが非常に多いと考えます。科学では同じ理論に基づけば基本的には同じ結果が期待できると思いますが、広告の分野はそうではなく、経験値などによって大きく左右されます。その経験値に基づく暗黙知を言語化、理論化していくのが私のやるべきことなのでしょうが、まだ体系化できたというレベルには至っていません。永遠のテーマだと思っています。   アカデミックの世界に入って戸惑いや葛藤はありましたか。 実務家教員とは何か、実務家教員は何を求められているのか、実務家教員は大学でどう位置付けられるのかといったことが大学によっても、人によっても捉え方が違うように思えます。 実務家教員にもさまざまなタイプがあるものの、私のように学術基盤がまったくない実務家教員が大学で何をできるのか、知人に同じようなタイプの他大学の実務家教員が何人かいるのですが、彼らを見ていても、大学側も明確に実務家教員像を描けていないように見えます。私自身もまさに暗中模索しています。それはやりながら作ることなのかもしれません。 もう一つは、学生の中でもやる気があって積極的な学生とそうでない学生でかなり大きな差があり、同じ土俵で教育しなければならない難しさは事前に全く想定できなかったことの1つです。実社会とのギャップなくすために

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