TEEP NEWS LETTER Vol.13
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新宿高島屋で開催された「大学は美味フェア」で開発商品を販売ジェクトリーダー(PL)がいて、私は彼らの異なる流儀をオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)で学び、調査事業の受託業務(資金管理とプロジェクトマネジメント含む)、クライアントとの交渉、企画立案、調査実施、報告書作成と提案の技能(スキルやノウハウ)を磨きました。 そうして経験を積み、やがて私自身もPLとなり、部下を指導する立場になりました。数々の失敗も経験しましたが、乗り越えながらプロジェクトを推進し、調査事業の各プロセスで必要になる技能定着を図れたと思っています。 調査会社では約10年を過ごし、調査事業を核とするキャリア・パスを考えるようになりました。すなわち、調査の前工程(研究領域)と後工程(実践領域)での仕事経験です。より深めたい調査テーマと巡りあってもそれに特化することは叶わず、また、調査結果を提案してもそれが生かされるかどうかはクライアント次第だからです。そして、勤めていた調査会社にいては、前工程と後工程のキャリアを積むことができませんでした。 また、会社外では2種類の組織に参画し、中心的な役割を果たしていました。 1つめは、学生時代のゼミ恩師も参加する自治体イベント研究会と地域デザイン研究会。全国の独創的な公務員、街づくりや地域振興のプロデューサーと交流を重ねました。今思えば、彼らは、パブリック・アントレプレナーやソーシャル・アントレプレナーでした。 2つめは1960年代生まれの社会人有志の異業種交流会。産業界や官公庁の同世代が何を思い、何に悩み、どうしようとしているかを、定期的な勉強会、合宿を通じて学び合ってきました。 そんな中で再び大学に関わることになったのは、サバティカルに入る恩師からゼミの非常勤講師として声がかかったことがきっかけです。国内外で実踏調査していた中小企業の立地動向の事実認識に基づき「日本型生産システムの構造変化と中小企業に見る競争優位要因」と題するワーキング・ペーパーを著し、それを教授会で研究成果と評価いただき、ゼミの代講を認められました。わずか1年でしたが、教えることの難しさを学べただけでなく、院生時代とは違い「分かる」ようになっていた自分を発見できた機会にもなりました。 転機が突然訪れました。偶然は重なるものです。調査会社での最終年は、中国からの撤退コンサルティング事業をビジネスパートナーとともに創業し、バックオフィス機能を担いました。今の表現で言えば、週末起業です。これを本業としていこうと決意した1~2カ月後に、恩師の一人から教えていただいた「ベンチャービジネス論」の公募で面接審査に進んでいた愛知学院大学(前任校)より内定をいただきました。その後の数年は、二足の草鞋を履いて実践的な教育を目指し試行錯誤しました。 担当した授業は「ベンチャービジネス論」。経験を最初の担当講義で感じた「段差」マルチハットでの挑戦がキャリアチェンジのきっかけに 学生によるアイデア創出から商品化までのステップ【基本形】

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